TOMO/FREEMANのブログ

変われた自分と変わり続ける自分から変わりたい人に贈る

本来の自分を取り戻せ

初めての海外経験はジャマイカ

  

当時やっていたツイッター(一度削除をしたためアカウントは存在していない)で日本のアーティストとコンタクトを取り情報収集をした。

  

初めての海外がジャマイカなんてヴァイブス高いね!頑張って!

  

面識もないが、激励してくれるアーティストのリプライに勇気をもらいチャレンジをした。

  

初めての経験だ。右も左もわからないまま、恐喝や暴力にもまれながらも、ジャマイカのタフな暮らしを生で感じたあの感覚は忘れることはない。

色々あったが一生の宝物だ。

  

日本から固形石鹸や小学生向けの算数の教材を持って行き、現地の孤児と一緒に遊びながら、たくさんのことを教えてもらい、また手指衛生について説明させていただいた経験は自分にとっての宝物だ。今頃大きくなった彼らは元気にやっているだろうか。

  

日本という、当たり前の環境に浸っていると、当たり前とも思わなくなる。もはや当然というか。疑う余地もない。

海外は、自分の慣れ親しんだものとのギャップを与えてくれる。

ジャマイカへは近いうちに改めて伺いたい。

  

  

そんなこんなあり、日本へ帰ってきた頃の俺はほぼ一文無しだった。

病院の寮に入っていた為、帰国した時には部屋が無かった。

荷物は友達の家に置いたり、時々友達の家に泊めてもらうこともあったが、事実上ホームレスとなる。

  

新宿にある戸山公園にはお世話になり、ゲートボール場のベンチで何日か夜を過ごした。公園の水道で頭を洗ったり、服を洗ったり。戸山公園の水道がやけに冷たかったのを覚えている。

近くには早稲田大学があり、学生に指を刺され笑われた経験もある。

  

とりあえず目先の生活の為に預けていた私物を売りさばいた。当時はPS4やVITAが発売されて間もないころだったと思う。いろいろなものを売り、ある程度金になったのを覚えている。でも家を借りれるほどではない。

  

仕事はどうする?

看護師免許を持っていた為、就職には困らない。だが病院は嫌だった。

上司には否定しかされない。

承認を求めていたわけではない。

  

自分の可能性を知りたかった。もっとやれると思っても、可能性つぶさちゃたまったもんじゃない。

看護師の派遣がることを先輩に教えてもらい、どこの組織にも属さず、しばらくフリーランスで動いていた。

  

気づいたことがあった。ジャマイカにしろ何にしろ、人と関わるのが好きだった。

俺と患者、クライエント間で起こる何か。

俺が関わることでどんどん笑顔になってくれる。

その反応は俺もうれしかった。

  

もっとゆっくり長く人と関わっていたい。

俺のやりたいことはここにあるのかもしれない。

  

そんな俺は訪問看護というものに出会った。