TOMO/FREEMANのブログ

変われた自分と変わり続ける自分から変わりたい人に贈る

本来の自分を取り戻せ

看護師の就職先といえば、病院か介護施設くらいだと思ってた。

  

人に命令をされるのは嫌だった俺は、どこか縦社会の病院への勤務に抵抗を感じていた。

  

そんな矢先だ。

 

「俺たちがもう一人の家族になるんだ!」

「在宅医療を俺たちが変えるんだ!」

  

  

訪問看護師という働き方。

  

訪問看護事態は自分が学生時代に実習で行ったことがあるから知った。

興味が無かった。

  

でも

  

「俺たちがもう一人の家族になるんだ!」

「在宅医療を俺たちが変えるんだ!」

  

なんかその志に惹かれた。

  

自分とは何かを探していた自分の思いとはどこか重なるところがあった。

  

看護師でも会社を持つことが出来る。

 

ほんの少しの野心を持ち合わせていた。

  

そんなこんなのとんとん拍子で入社がきまり、訪問看護師として従事することになった。

  

右も左もわからないけど

利用者のペースがあって、それに合わせる自分があって

何もできないときがあっても、ただ存在を肯定してくれる家族たちに囲まれて。

 

家で人生の最期を迎える人たちの

最後の最後までそばにいさせてくれて

  

利用者、家族からは本当に貴重な体験を与えてもらった。

  

そしてふと想う。

  

  

人生って何だろう。

  

  

俺が生まれた意味ってなんだ?

海外と日本のギャップ。

  

資本の差でこんなにも環境に変化が出るものなのか?

  

まちには酔っ払いがたくさんいるが、

コンビニの弁当は今日も大量に廃棄されているが

  

一方で、この世の中、技術が進んでいるのにも関わらず、

 

今この瞬間も餓死している人がいて

  

石油の蛇口を争う人たちがいて

  

鉄の雨が降る場所があって

  

罪のない子どもたちが犠牲になって。

  

  

今俺は幸せだ。

でもなんか、やっぱそんな状況を考えると居ても立っても居られない。

  

  

何かできることは無いのか。

 

いつもそう

 

現状には常に満足しない。

  

何かきっかけを探し続けてる。

 

案外大切なものは自分の近くにあって

なんか見落としがち。

  

でもあった

探してるときっと見つかるもんだ

  

人生のゴールってものは

  

看護が好きだ

でも問題だけを見つめない。

  

部分を観て、そして全体を観る。

  

病気だけを観ず、利用者の人生をサポートする。

  

コーチングに出会った。

  

その人の可能性を最大限に引き出し、生命躍動させる存在。

  

なんか俺の看護観に似てる。

  

病む人の生命力の消耗を最小限に抑え、さらに生命の可能性を最大限に引き出す。

  

これだ。

  

看護の可能性はこれだ。

  

これで世の中を変える。

世の中を変える。

  

もっと良くしたい。

どうなるかはわからない。

でも自分の可能性は信じてる。

俺はやり遂げることが出来る。

  

これが本来の自分かもしれない。

  

  

ただ不器用なだけかもしれない。このブログの文才みたいに。

でも自分にだけは嘘はつきたくない。

ガキの頃の自分が、今の自分に憧れるような

そんな存在で居たい。